エッシャーと言えば、いわゆる「だまし絵」を連想される方が多いと思うが、

もちろんそれも一面ではあると思う。

しかし、私がエッシャーに魅かれるもっとも大きな理由はモノトーンの美しいさにある。

この作品「球を持つ手」も、もしカラーであったらその神秘性はむしろ半減したかもしれない。

この作品は球を持っている手が主なテーマではない。

むしろ、そこに映り込んでいる歪んだ世界がテーマなのだ。

球を持っているのは勿論エッシャー本人だが、鑑賞者もこの絵の前に立つ時、

エッシャー自身と同じ視点に立つ事ができる。

その時感じる現実世界の歪み、

見ているはずの自分が見られているという矛盾。

それらが一種の「めまい」を起こさせる。

そしてこれらがモノトーンで描かれている事で、よりいっそうの現実から遊離

を際立たせていると思う。
 

 

こちらの作品「三つの世界」でも、やはりモノトーンが効いている。

この、三つの世界とはどこを指しているのか?

ひとつは現実に木が生えている世界、

もうひとつは木が写り込んでいる水面の世界、

もうひとつは魚が泳いでいる、水中の世界、

である。

これらの世界は同時に存在しながら互いに異なった表情を見せている。

見ていると幻想の世界に入り込んでしまう。

 

これらの世界をカラーで描いたら一つの現実そのものになってしまいそうだ。

しかし、モノトーンであるので必要最小限まで情報がそぎ落され、

かえって互いの世界を際立せている。

つまり、モノトーンでなければ三つの世界の存在を認識できなかったのではないか・・・
 

「天使と悪魔」

この作品は黒い部分が悪魔で、白い部分が天使になっている。

相反する二つの存在が円の中で一体化している。

そして、一体化しながら円の淵に向かってどんどんと縮小していく。

これもモノトーンのコントラストが美しい。

 

この作品を見ていると、ある事を思い出す。

子供の頃聞いた、物理の話だ。

例えば、ボールを空中から地面に落とすと、ボールはまず半分の距離まで落下する

そして、次にさらに残りの半分の距離まで落下する。

そしてまた、次の半分の距離まで落下する。

と、この様に落下する距離を半分づつに区切って考えると、

永遠に地面へ到達する事が無いと言う冗談の様な話だ。

天使と悪魔も互いの裏の顔を表現していて一人の人間を半分に区切った

と言う比喩である。

これは、善と悪が共存すると言う、永遠に無くならないであろう人の性(さが)をそのものである。
 
 
ボールが永遠に地面に到達する事が無いと同じ様に、

人の性も永遠に克服できない、と言っている様に思う。

これも、白と黒、モノトーンという相反する存在でしか表現できなかった作品ではないか?

 

【アートポスター】球を持つ手(550×650mm) -エッシャー-
 
【エッシャー ポスター】三つの世界(281×358mm)
 
【アートポスター】天使と悪魔(550×650mm) -エッシャー-