「肖像経済」
 
森村泰昌と言えば、自分の仮装した写真をモナリザやゴッホの絵と合成して、
ちょうど絵の中に自分が入り込んでしまう様な作品で国際的にも評価の高い
アーティストである。
 
上の作品は森村の最近作であるが、言わずと知れた毛沢東に扮した森村
と毛沢東風の写真を合成した作品である。
また、少し前のシリーズだが女優をテーマにして男である森村が
女優に扮した一連の作品群も有名である。
 

 
「まあ、ええがな」のこころ
 
この2作品とも見事なまでのコスプレぶりだが、
森村の作品に共通するのは、「他者の中に存在する自己の発見」と
言える様な気がする・・・。
 
森村はゴッホの肖像を自らの顔と合成した作品を発表した頃
アート界に華々しくデビューしたが、その頃のインタビューで
ゴッホの絵を題材に選んだ理由として以下の様に答えている・・・
 
「自分に似ていると思ったから」
 
ゴッホの肖像と自分が似ていると思ったのが発想の原点だと言う。
 
考えてみれば、
人は、他者を理解するとき、自己との共通部分を介して理解する様な気がする。
つまり、
ある事に関して
「自分と同じ考えだ」とか
「同性同士だから解る部分がある」
などと言って理解する事が普通なのである。
 
森村の場合はどうだろう
名画や異性である女優の中に自己と共通する何かを見出して
作品にしているのだろうか?
そして、それは何を意味するのか?
 
人は自分で解っている自分が全てでは無い
恐らく自分でも知らない自分が存在していて
何かのきっかけでひょいと顔を出す事もあるのではないか?
 
恐らく森村のテーマはこの
「自分でも知らない自分を、他者の中に発見する事」
ではないかと思う。
それは芸術家としての自己探求と同時に
人は多面的存在であると言う事を表現を通して普遍化しようとする試みである様に思う。
 
人は自分が了解していない自分を発見した時
きっと戦慄するのだろう、
森村の作品を見ていると、
森村自信の戦慄と新しい自己を発見した喜びのような爽快感を感じる。
 
「肖像経済」

「まあ、ええがな」のこころ