時雨みち表紙
 
先日たまたまつけたNHKラジオで藤沢周平さんの短編小説「滴る汗」の朗読が放送されていました。


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以前から藤沢さんの小説の大ファンなのですが、この話どこかで読んだ事があると思い調べてみると「時雨みち」と言う短編集の中に収録されていました。話のさわりはこうです。
 
滴る汗
 

主人公、森田屋宇兵衛(うへい)は表向き荒物を商う商人だが、幕府からは遠く離れた東北の小さな藩に三代前から潜入している公儀隠密である。
ある日、商用で城内を訪れると徒目付(かちめつけ)の鳥谷(とや)甚六から声を掛けられた。「城下に公儀隠密が潜んでいる事が知れた・・」驚きながらも平静を装う宇兵衛であったが、鳥谷の態度からは、「宇兵衛が公儀隠密である事を知っいるのかそれとも、正体はまだ露見していなのか」計りかねた。
何とかその場を取り繕い城内を出た宇兵衛であったがその後、鳥谷の言葉が頭から離れず、ついには自分を守る為の行動に出るのだが・・・。

 
いささかネタバレになりますが、その後、宇兵衛は自分への取り締まりの恐怖に翻弄され殺人まで犯してしまいます。しかもそれが元で取り返しの付かない状況に陥るのです。
 
藤沢周平さんは巧みな小説作りで「人間心理の綾」を描く名手です。この短編でも主人公が「まだ起きてもいない事に翻弄される」人間心理の弱さを静かな語り口で見事に描いて見せてくれました。
 
ところで・・・「まだ起きてもいない未来について無駄な心配をする事」を「杞憂」(きゆう)と言います。「滴る汗」の主人公宇兵衛もこの「杞憂」と言う心理に打ち負かされた訳ですが、こういった心理は普段の我々の生活の中でも極当たり前に見受けられます。
 
「明日の商談でミスしたらどうしよう・・・」
「昨日受けた試験がもし不合格だったら・・・」
「突然会社が倒産してしまったら・・・」
「明日、交通事故で死んでしまったら・・・」
 
などなど例を挙げればキリがありません。
 
「わかっているけど・・・」
そう、「起きてもいない未来について悩むのは無駄な事」とわかっているけど、
自分の事となると、どうしても必要以上に悶々と考えてしまうものです。
いったい、この「杞憂」と言う心理とどう向き合っていったら良いのでしょうか。
 
後ろ姿
 
再び「滴る汗」の主人公宇兵衛の行動から考えてみました。
小説では、宇兵衛自身が公儀隠密である証拠を握っているであろう人物をあれこれと想像します。そして思い当たった人物を何の確証も得ていないにも関わらず殺してしまうのです。
 
「確証が無くても万が一でも疑いがあれば消してしまえ」
そんな思いだったかもしれません。
しかし、この行動が仇(あだ)になります、この殺人が宇兵衛をどん底に突き落すのです。
 
これは、物語だから・・・、小説だから・・・オチを付けただけ。
と言ってしまえばそれまでですが、ここには「杞憂」と向きあうヒントがある様に思います。
 
もし宇兵衛が、不安や心配と言った「杞憂」に苦しみながらも保身の為の殺人と言う行動をしなければ、それが仇(あだ)になる事も無かった訳です。
 
「墓穴を掘る」と良く言いますが、「杞憂」と言う精神的な苦しみの解消の為、確証も無しに行動を起こす事は明らかに冷静さを欠いた行為です。
 
冷静に事を見極め「自分の心の苦しみの解消」ではなく「何か事があってから初めてそれに対応」していれば「墓穴を掘る」事も無かったのです。
 
しかし、そうする為には、「杞憂」の苦しみを一旦受け止め、「今自分は取り越し苦労をしている、まさに「杞憂」の状態」だと「冷静に自己を見つめる目」をまずは持つ事が必要です。
そして、その冷静な目で「起きた事に対応していけば」大抵の事は事足りるはずです。
 
傾向として人は自分の事は「悲観的」に、他人の事は「楽観的」に考える傾向があります。自分の事を悲観的に考えるのは、「自分の事を最も守りたい」と言う心理の裏返しです。
 
しかし、守りたいが為に過剰に「悲観的」になってしまうのです。そしてその心理が「杞憂」を生むのです。
 
自分自身を他人と同様にバランス良く見る事ができれば「最善の策」を思いつけるはずです。
 
「杞憂」を受け止め、「杞憂」の苦しみに負けず、「起こった事にのみに対応する」。藤沢周平さんの「滴る汗」の主人公宇兵衛の行動からそんな教訓を考えてみました。
 
蛇足ですが、短編集「時雨みち」はそんな、現代人の心の機微を江戸時代の市井(しせい)の人々の姿を借りて描いた傑作短編集です。一度味わってみると必ず癖になる味わい深い話ばかりが収録されています。
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